諌山創『進撃の巨人』12 ⑤

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どんだけ続くんだ。「誰か」の続き。覚悟を決めた三人の他、今回心理描写がとても心にのこった二人。ユミルとベルトルト。

 

 ユミルが見せた本心もステキでした。ヒストリアに会いたいと自分のために生きたいとベルトルトたちに危険を冒させてまで我儘を言った彼女が、調査兵団が迫ってきてやばい状況になったら、それはそれでそっちに味方しようか迷う。本当は自分は死にたくない。ヒストリアを利用してでも、生き残りたい。そんな気持がウソなく出ていてステキだった。調査兵の大人達が私情を殺し、ライナー達戦士が任務を必死で遂行しようとしているのに対して、彼女は本当にワガママに自分の欲求に素直に生きている。自分よりも大切に思う人と共にありたいと想い、そのために生きたいと思う。それは、生き直す前の彼女の承認欲求を満たすために生きていた在り方とは大きく違いますよね。本当に、彼女は自分のために生きることができたんだと思う。そして、このあとの彼女の動向がまた…。

 

まあ、それはさておき、もう一人、今までなかなか本心がわからなかったベルトルトが、今回の話でその心情を吐露したのがとても印象的でした。

 

 ミカサに「人類の害」と言われたベルトルト。それまで、ジャン達にさんざんにおもいでばなしをされて追い詰められていたときに、これを言われて「誰が人なんか殺したいと思う」と反論。というか激昂。それでも誰かが手を血に染めないとダメなんだ、と主張する姿が痛々しい。

 

 彼がこのとき、「誰か僕らを見つけてくれ」と泣いたのは、本当に彼の本心だったんだと思います。彼らの境遇を思う時、彼らは「故郷」でも決して恵まれた立場の者ではなかったはず。マーレに利用されたエルディア人なわけですから。そんな彼らがきっと、少年らしい心を取り戻せたのは、やはり訓練兵時代だったのではないでしょうか。それでも彼らが「仲間」だと思った壁の中の人類は、彼らが殺すべき対象。きっと最もきつい立場にいるのがライナーとベルトルトであったはず。そして、誰にも理解されない立場。だからこそ、「誰か見つけてくれ」と言ったのかもしれない。

 

 ただ、この言葉は文学的な表現のひとつかと思っていたのですが、そうでもないかもしれないと思います。2月号で、クルーガーが「誰かが見ているかもしれない」と、彼とグリシャの二人きりの場所でそう言っていたことや、今回のサブタイトルにまでなっている「誰か」。これは、もしかしたら何かを意味しているのか。

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