諌山創『進撃の巨人』6 ⑥

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さてさて。エレンの「仲間を信じる」という選択によって、そのまま馬で駆けることになったリヴァイ班。ここでのエレンの選択はまさに少年マンガの王道。仲間やその絆を頼りに困難を乗り越える。主人公の成長と困難の克服のキーとなるのが、仲間ですよね。でもそれをまるで揶揄するような言葉がエレンによってこのあと紡がれるのが印象的でした。

 

「オレは……欲しかった。新しい信頼を。あいつらといる時のような心の拠り所を…。もうたくさんなんだ。化け物扱いは……仲間はずれはもう……。だから…。仲間を信じることは正しいことだって……そう思いたかっただけなんだ。……そっちの方が……都合がいいから」

 

もうこの選択が間違っていたというフラグをばんばん立てまくっているセリフですが、とってもすごいセリフでもありました。

 

このマンガに恐怖を覚えるのも、こうした点があるからでしょうね。仲間や絆がもろく、状況によってはそれに縋ることこそが間違いだったりもするのが現実の世界。そんなものが一瞬にしてなくなってしまうのも日常にはあり得ること。でもそれを信じて困難を乗り越えることができるからこそ、フィクションの世界に人は憧れる。そして同時に「フィクションだから」と純粋に娯楽として楽しめる。でも、『進撃の巨人』ではそれを許さないほど、とんでもない選択や結果がある。それは自分にも身に覚えがあるような汚いものだったり、卑屈なものだったりする。それが私達の生活に根ざした選択があったりするから、恐怖を覚える。『進撃の巨人』を見ていると、自分の実生活での選択の可否について迫られているような感覚もあるから。

 

今回のエレンの選択も同じ。仲間を信じること。それを題名にあるように「好都合な道」として、功利的判断のもとに下されたものとして切ってしまうような言い方。そんなものをフィクションの世界がしてしまうと、私達はそこに安住することができなくなる。だってみんな現実世界でも、それに安住して「仲間」以外の者を否定したり、排除したり、より困難な道の先にある何かを選ぶことを拒否するのだから。「仲間を信じる」ことを奨励されている世界のなかで、それを否定するようなこの価値観をぶっ込んでくるのは、極限状態を描いているとしてもなかなか心のざわめくものだと思います。

 

だからこそ、他のマンガにはない何かを感じ取って『進撃の巨人』に心惹かれる大人達は多いのでしょうね。作者、きっとあまのじゃくだよね、と初めて思った回でした。笑

 

最後。リヴァイ班が駆け抜けたその先に、エルヴィン団長率いる調査兵団の本隊が待ち伏せ。なんかすごい兵器を用いて女型の捕獲に成功!リヴァイ班は、そのままエレンを保護しながら距離をあけて森の中で待機。リヴァイだけ離脱してエルヴィンたちへ合流。

 

作戦は一旦成功。さて、エレンの判断は果たしてどのような結果をもたらすのか…。

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