スメルズライクグリーンスピリット / 永井三郎

スメルズライクグリーンスピリット

自分の中の黒でも白でもない箱を緑に塗り替えられたような気持ち…というのが自分の正直な感想。特にこのSIDE Bは、自分の高校生時代と共鳴するような展開で、すでに体験した過去をリプレイされているような感覚だった。主人公の三島ではなく、どちらかといえば桐野の立ち位置に、既視感があった。

といっても、自分は同性愛者だったわけではない。が、ドのつくくらいの田舎で育ち、ひどく家での居心地が悪かったこと、誰かその窮屈さを分かち合える仲間を欲していたこと、そんな仲間を運よく見つけて、夜に田舎町を飛び出したことそして家では結局中途半端に打ち切られて、家に帰るしかなかったこと――…。それらは全て、自分が高校時代に体験したことだ。

そもそもこれはBLカテゴリに入れられてはいるものの、実際のところその内容は男同士の恋愛の話ではない。主人公が最終的には男同士で結ばれるというだけで、作品の主題は恋愛ではなく、少年たちの思春期の鬱屈である。成長期のパワーを持て余しながらそのぶつける先も見つからず、内にこもるばかりのエネルギー。生まれ育った片田舎という閉鎖的社会も、自分の年齢も成長途上の肉体も、或いは彼らにとっては性別すらも、その青臭いエネルギーには窮屈すぎるのだ。そしてそのエネルギーがリミッターに達した時、彼らは外を目指した。

田舎の子供にとって家では、プチなんかでは済まされない。ということを、果たしてどのくらいの人間が理解してくれるかわからないが、彼らの決意はよほどのものだったのは間違いないだろう。それはあくまで、限界までたまった鬱屈の解放なのだ。

しかし、それだけの、彼らが15年ためこんだエネルギーをもってしてさえ、その家出は失敗に終わった。そう、結局のところ中学生にできることなんか、その程度なのだ。閉鎖的な田舎という外的要因としての殻を破ったところで、自分の内的要因たるもう一つの殻にそう遠くないところで阻まれるのである。そうして、戻ってきた彼らはもう一度、一時の勢いではなく一歩一歩歩いて自分の世界を広げ、自分の人生を選んで歩いてゆくのだ。

と、かなり抽象的な文章になったけど、おそらくそういう話です。

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