穂積『さよならソルシエ』1 ⑤

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第六話。

「あんたと一緒にいたことは、俺の人生の一番の幸福で。一番の不幸だったと思う」

 

テオの独白が、切なく、とても心にしみます。

 

今回の話も素敵でした。フィンセントがただ欲望のままに、描く絵は、人を救う。自分を捨てた恋人を待ち続ける老婆には、恋人と過ごした夏の絵を。大切な家族を失った遺族には、死にゆく人の笑顔を。

 

フィンセントの絵が人を救うのは、彼が描くだけでなく、その人を「見よう」とするからかもしれません。

 

そんなフィンセントの絵を、テオは世界に出そうとしているのですね。描くだけしか興味がなく、世に売り出す欲望を欠いたフィンセントには、確かにテオのような人物が必要です。しかし、体制に楯突いて、暴力を振るわれても立ち止まることのないテオの原動力は何か。ずっと不思議だったのですが、その答えが出ましたね。

 

「知っているか」とテオはフィンセントに問いかけます。

「画商が――心を揺さぶられて仕方がない作品に出逢った時の感動をなんと呼ぶか」

 

 

「恋だよ」

 

 

子供の頃、テオの傷ついた背中を描いたフィンセントの絵。それに、テオはとんでもない感動を覚えたのだそう。

 

ずっと、彼は兄の絵に「恋」をしているんですね。それこそ、彼が言うように、人間へのそれなどまるで比べものにならないような。

 

その恋は、運命的で、ひとときだけでも絶望さえも忘れさせてくれる。

 

それと出逢ったからこそ。それが兄の絵だったからこそ。

 

テオは、画家になることを諦めたのですね。最後の独白がなんだか切ない。

 

この穂積さんの描くゴッホ兄弟。まるで一般的なゴッホ兄弟と印象が違ってすごい。

 

孤独で炎のような印象を抱かせる野心家は弟のテオドロス。全てを持ち得ながら、あえて価値観の正反対の場所へ飛び込み、そこでひとり闘う様は、とても孤独で切ないもののように感じます。

 

一方で、まるでひまわりのように明るく、「ゴッホ」が焦がれた浮世絵のように一点の曇りも影もないフィンセント。一見テオのように人に囲まれることもなく、何かを手にしているわけでもなく、孤独で惨めに見えるフィンセントですが、実のところ彼は絵に愛されているように見えます。それこそ、世界に愛されている、とでも言うように、彼の視点を通す風景はキレイなんでしょうね。だから、人を救う絵を描くことが出来るのでしょう。

 

こんな描き方をされたゴッホ兄弟がいまだかつていたでしょうか。

 

現実のゴッホは孤独で、誰にも理解されず、最後は精神病院に入院して銃で自殺します。そんな現実のゴッホが、こうしてマンガとして愛されている、ということが何だかゴッホファンとしては嬉しいものですね。

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