蜷川ヤエコ『モノノ怪』坂井家化猫騒動 解2

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そして物語。

アニメ版では、「化猫」のように勧善懲悪的なものばかりではなく、もっと複雑で割り切れないものも多かった「モノノ怪」。「化猫」も、勧善懲悪的な部分もありながら、割り切れなさもあって良かったです。かなりハードな設定のあった坂井家ですが、そこに集まる人々の内面の醜悪さがわかりやすくてよかったです。うん。でも、肝心なところはぼかされているんですよね。坂井家の悪人たち、そして小田島さんや加世ちゃんのような善玉の人たちの感情の発露は多く表現されていながらも、化猫の理でもあった珠生さんの惨憺たる感情、そして(一応)主人公たる位置に在る薬売りさんの感情(彼の場合は持論を展開する部分もほんの少ししかないけど)が驚くほど言葉足らずなのが面白いですよね。

 

なんだか、まるで裁判劇のような印象があります。被告は化猫。原告に坂井家の人々。薬売りさんは検事のような。裁判官は退魔の剣でしょうか。弁護人はいないけれども、薬売りさんはどちらにも転じるうる、ただ「明らかにする人」で、裁判官もまた、裁くのは「斬らねばならぬ」というシンプルな法律に従ってのみ。その裁きには善悪の基準などは介入しない。だからこそ、「あんたが殺されようがかまわない」ということになるのでしょうね。だからこそ、勧善懲悪的な部分が解消されながらも、シンプルな法律「斬らねばならぬ」という正義によって、舞台劇は単純化されて読みやすくなる。そんな印象を受けた作品でした。

薬売りさんの生業を見ていると、「蟲師」も思い出しましたが、あちらは主人公のギンコが正義感が薬売りさんより強い点、物語の構成が善悪の彼岸を設定していない点が大きく違っていましたね。「モノノ怪」は主人公が善悪の彼岸と此岸、モノノ怪と人間の彼岸と此岸を解消させて「秩序」をもたらすものでした。それに対して「蟲師」は善悪などはもともとなく、「ただそれぞれに在る」ことで悲劇と喜劇が起こっていることに、ギンコが「それぞれに在る」彼岸と此岸を見て、知らせている、という感じでしたから。主人公の立ち位置が大きくことなりますよね。ギンコは山の一部として、世界の一部の人間でしたが、薬売りさんはもはや逸脱しています。笑

 

それにしても、最近映画でもアニメでも3Dだったり、本物を目指したような最新の技術が結集したような作品が多くて面白いですが、「モノノ怪」のように二次元だからこそ表現できる可能性を最大限に発揮した作品ももっと出てきて欲しいですね。

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