蜷川ヤエコ『モノノ怪』弐 ④

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化猫の空間に呑まれた薬売りさんが見たものは、化猫―猫と珠生―の〝真〟と〝理〟でした。

 

ご隠居は、珠生を拐かし、その後に彼女を虐待し、犯しながら幽閉し。

 

さとさんは、そんな彼女に悪態をつきながら飯とも言えぬ、質素な飯を運び。

 

伊國は、ご隠居が息子に嫁いだ女―水江―に熱を上げているなか、珠生を繰り返し陵辱し。

 

笹岡は、ご隠居からの暴力で亡くなった珠生の死体の始末を請け負った。

 

珠生の恨みも悲しみも、言葉で語られることなく。彼女の想いはただ、部屋に迷い込んだ子猫の幸せを願うことばかりでした。絶命の最後まで、彼女の想いは坂井家の誰一人にも向けられる事なく、猫に対する言葉ばかりでした。

 

薬売りさんがいなくなって歯止めがなくなった化猫は、札で守られていなかったさとさん、伊國、笹岡を食いちぎって殺します。このシーンはアニメだと鮮やかな色を重ねて描かれており、カットが多くてあまり見えなかったのですが、コミックだと白黒になって、より気味悪く見えますね。

 

この壮絶な〝真〟と〝理〟を見た薬売りさんの言葉が印象的でした。

 

「お前の真と理、確と受け取った」

 

ただ暴くのではなく、受け止める。そんな姿勢が見て取れます。

 

「お前を為したのは人ではあるが 人の世にあるモノノ怪は 斬らねばならぬ」

 

人でありながら(自称ですけど)モノノ怪を知り、受け止め、それでも人の世の理のためにそれを斬る。なんだかモノノ怪を見ていると、薬売りさんの在り方は非常に難しいものだなと感じます。アニメ『モノノ怪』の最終回では、人は世に生まれるもので、モノノ怪は世に在るものだと説明されていましたが、彼こそ人の世に生まれ、その後人の世に〝在る〟者なのではないかと思わされます。両者の境界線上を、どちらにつくともなく、どちらにも属することで近郊を保っているような。それは善でも悪でもなく。ただ、境界の人。

 

これは興味深い立ち位置だと思います。いろいろ、解釈が生まれているのも頷ける。

 

善でも悪でもなく、どちらにも属しているようでありながら、どちらにも属していない人。たぶん、人間だというからこそ、情があり個性もあるのです。そういう風に作られていますし(監督曰く)。でも、だからこそ、薬売りさんが「受け止めた」と言ったことや、その後ハイパーさんが「清め払う」と述べた後、「許せ」と言ったことが、気にかかる。

 

こんなお仕事しながら、情があり、それらを「受け止め」、それ自体がモノノ怪にとって悲しいことだと知っているのは、とってもしんどいことではないかと。

 

でも、楽しんでいるのも事実でしょうけど。海坊主みる限り。

 

しかし、それにしても坂井家化猫騒動はとても悲しくも、良い物語でした。

ラストは、アニメ版ではベラベラ喋っていた薬売りさんの言葉が大幅にカットされていて、よりその後の「モノノ怪」の人間離れした薬売りさんに近い仕上がりになっていました。

 

ご隠居の台詞に答えを与えるでもなく、小田島さんたちとの別れの前のやり取りもなく、ただ評することなく、関わり合うことなく、「斬る」だけの人物でしたね。

 

事の発端のご隠居が生きていることに納得いかない読者もいるようですが、私は「殺される」と覚悟していた彼にとっての最も辛い罰なのだと思います。だからこそ、一人残されて生き延びた彼の結末には私は納得。

 

そんでもって、毎回思うのですが、ラスト、猫と珠生が屋敷から出たのをびっくりして見つめる薬売りさんの顔。この人、目見開いたら狐みたいな顔になって、ちょっと怖いのよ。笑

 

さて。今回で坂井家化猫騒動は終わり。でも、もし書き足らなかったら、まとめを書くかも

しれません!笑

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